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長崎リベンジ3 軍艦島上陸 [ちょっと旅行]

無事に軍艦島に上陸したツアーの人数は200名ほど、まずは第一見学広場に集合し、そこで2グループに分かれてツアー開始となります。

ツアーと言っても勝手に色々な所に行けるのでは無く3カ所の見学広場にしか立ち入る事は出来ません。

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さて、2月の長崎ツアーの時にも紹介しましたが、軍艦島とは長崎県高島町端島という場所で、炭鉱で発展し、多い時の人口は東京都の9倍の人口密度だったとの事です。

1974年(昭和49年)に炭鉱が閉山となり、それから無人の島となっています。

軍艦島と言う名前は海側から見た姿が戦艦土佐に似ていることから軍艦島と呼ばれています。

第一見学広場から正面の建物を撮影しますが、これは小中学校だった所で、屋上が体育館になっていたらしいのですが、40年以上も放置され台風などの影響で崩壊が進んでいます。

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右側の四角い柱が並んでいますが、これは石炭を運んだベルトコンベアーの跡との事です。

説明はオレンジの服を着ている説明員の人が話してくれますが、この人は当時ここに住んでいたとの事です。

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そして第一見学広場の左上部に建てられているのは当時の幹部の人たちの住居だったとの事です。

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そしてその横には窓の無い建物が一番高い所にありますが、これは給水塔です。

船で運ばれてきた水を一旦一番上まで吸い上げてから全棟に供給していたとの事で、海が荒れると水や食料が運べなくなるので水はとても大事にされていました。

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このため炭鉱で働いて来た人は前身真っ黒になっているので、最初は服のまま海水のお風呂に入り、その後服を脱いでさらに海水のお風呂で体を洗った後、最後にお湯のお風呂に入ったとの事です。

また現在の軍艦島には緑がありますが、人が住んでいた時は島には緑とかは一切無く、無人になってから鳥が運んできてコンクリートの上に緑が生えたらしいです。

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しかし、見事な廃墟になっています。

世界遺産に登録されると保存しないといけないので、どうやって保存するのか大変そうです。 

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またこの軍艦島には灯台はあります。 

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ズームして見ると新しいのが判りますが、この灯台は島が無人になってから建てられた灯台で、人がいた頃は電灯の明かりが灯台代りになっていたのですが、無人になってからは灯りが無いと危険との事でソーラー式の灯台が作られたとの事です。

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煉瓦造りの建物で殆どが崩れていますが、ここが炭鉱マンの中枢で事務所があり、ここに三つのお風呂もあって順に入ったとの事です。 

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事務所の左側にあるコンクリートの建物ですが、ここから地下に入る坑道の入口になっています。 

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中央右側は30号棟アパートです

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建物の近くはいつ崩れてもおかしくないとの事で、人が入れる所は鉄柵で区切られています。

奥に見えるのは31号棟アパートで6階建てですがエレベータは一切ついていません。

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壁とかも崩れ落ちでいますが、これは台風の時に島を越えるほどの大波がぶつかり、海水をかぶることでもろくなっています。 

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そして、現在の軍艦島の住人でトビが3羽住んでいます。

ちょうど1羽が廃墟の前を飛んでいたので雰囲気が良いので撮影しました(^^)

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次回は軍艦島の名前になった軍艦土佐に似ていると言う反対側からの軍艦島を紹介します(^^)


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